2008年03月26日

十六年半、一ヶ月、それから一生と言う時間。

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バドが亡くなって、一ヶ月。
何だかもっともっと長い時間が過ぎてしまったような気がする。

死んだ人が胸の中にいるって、よく言うけど、今私にも本当にそう感じられる。
姿が見えない、触れられないことは、まだとても寂しい。
けれど、胸の中にいつもバドがいて、暖かい。
それを、何度も確かめてしまう。

確かに私のこれまでの人生は、
その出来事だけを年表のように並べていけば、
結婚する前も、結婚した後も、
平均的な同世代の友人たちより大変で、
恵まれたとは言いがたいものだったけど、
私は、私が持っていないものばかり意識しては、
自信をなくしたり、不安になったり、自分を見失ってきた。

でも、振り返ってみれば、
バドといる時は、いつもそんな事はみんな忘れてしまって、
私は、ただの私で笑っていられた。

バドは、私が13歳の時に、私のところにやってきて、
それからの16年半を、ずっと一つ屋根の下で過ごした。
思えばバドが私の家であって、私がバドの家だった。
私が幼かった時も、家の外にばかり行っていた時も、
愚かだった時も、がんばった時も、
私が気づいている時も、気づいていない時も、
私たちは、ずっとずっとそばにいた。
そして今になって、バドがしていてくれたことが分かる。
バドは、孤独に育ってしまった私の心に、いつも寄り添っていてくれた。
まるで親のように見守っていてくれた。猫なのに。。。

バドの存在は、私にとって空気のようで、
彼を失うと思ったとき、私はとっさに
空気がなかったら生きていけない、と思ってしまった。

でも、次の瞬間、
ごくあたりまえに、少しも大げさでなく、
私に与えられつづけていた16年半分の愛がどっと押し寄せてきて、
それは、彼が死んでもなくなるものではないんだ
と分かって、胸が熱くなった。
本当にほかほかと胸が温かくなった。

バドが体調を崩して入院してから亡くなるまでの数日間、
面会の度に弱っていくバドを目にすることは、切なく辛いことだったけど、
それでも会って、一緒にいれば、それだけで幸せで、それだけで良かった。
そしてそれは、バドにとってもそうなのだと分かった。

バドは猫で、私は人間だけど、
私にとって、猫だったら誰でも良かったわけではないし、
彼にとって、人間なら誰でも良かったわけではなくて。
私たちはお互いの事が大好きで、
そういう、彼と言う存在と私と言う存在の組み合わせが
生まれて、出会って、
十六年半もの間を一緒に過ごせたことが、
どれだけ幸せなことか、考えてみた事もなかった。

私は、幸せ者だ。

そう思ったら、辛かった出来事も、
悲しかった出来事も、大変だった出来事も、
全部がこの幸せの中にすっぽり包まれて、
不運を取り返そうと無理ばかりして、
心を押しつぶされそうになっていた自分がばかばかしく思えた。

私はもう、私の人生を疎ましくは思わない、恥じることもない。
暖かい気持ちで、これまでの出来事を振り返る事ができる。
私はやっと、自分に与えられた運命を素直に受け入れる準備ができた。

私の心に開いていた穴は、
暖かくて丸くてふさふさしたものが塞いでくれた。
もう継ぎ目も分からない。

バドが、一生をかけて教えてくれた事。
私は私であるだけでいい。

無理しなくていい、がんばり過ぎてはいけない。
何かができてもいい、できなくてもいい。
私が私らしくいて、自然に素直に生きられていれば、
バドは、これからも、心配なく、気持ちよく、ごろごろと喉をならしていられる。

私が幸福に生きていく事が、恩返し。
私が幸せでいれば、私の胸の中のバドへのチャンネルを通じて、バドも幸せ。

それは、そんなに簡単な事ではないし、そんなに難しい事でもない。

一番大切なものが分かったから、
それをもう既に持っている事が分かったから、別に何もいらない。
何かが手に入らなくても、何かがだめでも、どうということはない。
与えられるものを受け取って、その時その時を生きたいように生きてゆくだけ。
毎日を丁寧に積み重ねてゆくだけでいい。

バド、ありがとう。
神さま、ありがとう。
posted by ゆめ at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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